阪神大震災 命の重み受け止めた生徒たち(産経新聞)

 ほんの少しの偶然のおかげで、私は今、生きている−。阪神大震災について産経新聞社が中学3年生を対象に行ったアンケートでは、15年が経つ今も、震災の体験が若い世代に語り継がれていることが明らかになった。「人の役に立ちたい」「忘れてはいけないと思う」。アンケートに回答した神戸市立本山中(東灘区)と兵庫県西宮市立浜脇中の生徒のうち、震災を直接体験した記憶はなくとも、失われた6434人の命の重みを受け止めている4人に話を聞いた。

 本山中で15日、全校生徒を集めて行われた「防災の集い」。林弘伸校長が「当時、神戸に住んでいた人は?」と尋ねると、手を挙げたのは3割だった。林校長は「当時まだ生まれておらず、家族からも話を聞いたことがない子供たちにどれだけ震災を伝えられるか、学校の役割はより重要になっていると思う」と話す。

 鹿島彩(さやか)さん(14)は震災の2週間後に誕生。母親が、当時住んでいた大阪から出産のため西宮市の実家へ里帰りしていたとき、震災が起きた。前夜、飾り棚が置かれた部屋で寝ようした母親は、祖母に「きょうはそこで寝ない方がいい」と言われ、別の部屋で就寝。揺れが収まった後で見ると、棚は倒れ、割れたガラスが室内に散乱していた。「おばあちゃんがああ言わなかったら、たぶん私はここにはいなかったと思う」と話した。

 脇谷俊介くん(15)は震災前年の6月に生まれた。自宅マンションの駐車場で電柱が倒れ、被害の様子が新聞に掲載された。家族にけがはなかったが、命を失った人がたくさんいることを聞かされて育ったという。

 学校や家族から震災の話を聞く以外、友達と話すことは2人とも「ほとんどない」という。脇谷くんは「ただ悪い出来事というのではなく、忘れないでいきたい」。鹿島さんも「伝えるための資料室とか、後に残すことがとても大事だと思う」と話した。

 浜脇中は1月17日を「浜脇中防災の日」と定め、震災当時、避難所だった公園などを毎年、地域の住民と清掃している。日曜日にあたる今年も全校生徒が参加する予定だ。

 春本拓人くん(15)は生後9カ月のとき、大分の父親の実家から戻ってきたフェリーが岸壁に着いた直後、震災に遭った。「両親とぼくが乗った車がフェリーを降りようとしたとき、目の前の車がタラップごと海に落ちたそうです」

 小学4年のときに西宮市に転居してきた土谷一眞くん(14)は震災当日に、埼玉県所沢市で生まれた。震災のことは知ってはいたが、西宮で近所の人から聞く話は重みが違っていた。校庭にある6本のリンゴの木が、震災で亡くなった生徒6人の追悼のために植えられたことも知った。「震災が起きた日に生まれたぼくは、亡くなった人たちの分も頑張って生きていかなくてはいけないと思う」。将来は「人の役に立つ仕事につきたい」と医師を目指すという。

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